インタビュー

東京・駒沢の食堂「BOWERY KITCHEN」オーナー山本宇一さんにバワリーの歩みと駒沢物語を聞く。VOL.1

27年前、駒沢をカフェ文化の発祥地として世に知らしめた「BOWERY KITCHEN」(以下バワリーキッチン)。オーナーの山本宇一さんは当時34歳。なぜ、駒沢の地を選び、 地域に根ざした食堂を目指したのか。バワリーキッチンと駒沢の街の四半世紀の物語を3回に分けてお伝えします。これを読んでお店に行くと、また、新しい気づきや発見ができます。

一見クールな宇一さんは、インタビュー中にさらりとギャグを言うようなチャーミングな一面も。お話しを聞きながら、自分が愛着を持ったものを詰め込んだバワリーキッチンは、宇一さんの人生そのものであることが伝わってきました。スタッフもお客さんも、ここではいい距離感を持ったファミリーのよう。何年たっても変わらない、いつでも戻ってこられる、そんな安心感を与えてくれます。

VOL.1では駒沢のパークライフを唯一無二のものにしてくれた、バワリーキッチン誕生の物語です。
VOL.2はこちら

Q1 都心から離れた駒沢という場所を選んだのはなぜですか?

A 子どもの頃に見た、アメリカっぽい風景がずっと頭の中に残っていたんです。

僕は生まれも育ちも文京区。父親はカメラマンでアメリカ好きで、アメ車に乗っていました。当然、僕もその影響を受けて完全にアメリカ贔屓でした。ある日、父親の車で二子玉川の高島屋へ行く途中、目に飛び込んできたのが駒沢通りのホットドッグスタンドでした。道がまっすぐで、空が広くて「アメリカっぽい街だな」と。もう50年以上も前のことですが、そのイメージがずっと頭の隅に残っていました。それに、バワリーを始める前は資金もなく、駅から少しれたこのあたりは家賃も安かった。アメリカっぽいな、家賃安いな、いいところだな、と思って駒沢公園の近くを探しました。(笑)。

ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパーク、大体、大きい公園の周りにはいいカフェやお店があるもの。でも、駒沢公園の周りは、日比谷公園や代々木公園に比べて、お店の数が圧倒的に少なかった。他の街にあってないものをつくり出すことが好きだから、都心からちょっと離れたパークシティでお店をやろうと思ったんです。

アメ車好きは父親の影響。20歳のとき作ったプラモデルもロータスに展示されています。(写真・山本宇一展より)

Q2 パークサイドのお店の魅力はなんですか?

A 公園にくる感覚で、さまざまな客層の人がお店にも寄ってくれること。

公園にくる人たちはある意味、客層がないんですよ。カップルや家族、若い人や年配の人などさまざま。バワリーキッチンも、公園のように幅広い世代の人たちに親しまれる店にしたかった。公園の帰りに寄る、あるいはランチやコーヒーを飲んでから公園へ行く。公園のように、自然とその人の生活の一部になるような店にね。

Q3 バワリーキッチンのルーツと店名の由来は?

A 僕が好きなニューヨークの通りの名前からとりました。

ニューヨークのマンハッタン地区の南に、バワリーストリートというのがあるんです。今やホテルやミュージアムが建ち並ぶ、おしゃれなエリアですが、かつてはギャングと安宿の街でした。一画には中国人やイタリア人が厨房道具を販売している、東京のかっぱ橋みたいなところがあるんです。その混沌とした雰囲気が好きで足繁く通っていましたね。

店を始めるとき、まだ場所も決まっていなかったのに仲間とニューヨークに乗り込んで、ここで厨房道具や内装小物を買い付けました。その量たるや段ボール30箱分!そして、この旅行が起爆剤になり、それまで停滞気味だったバワリーキッチンのオープンが一挙に進んだんです。

ニューヨークのロストシティで買い付けてきた照明。バワリーの厨房で今も優しい光を放っている。
ニューヨーク旅行が転機となり、帰国後今の場所に物件が見つかったそう。(写真・山本宇一展より)

Q4バワリーがオープンした頃の駒沢はどんな街でしたか?

A 駒沢公園通りはファミレスと三越エレガンスしかない、静かなエリアでした。

銀行の人と場所の下見に来たとき、郵便ポスト前で立ち止まって「山本さん、この通りは人が全く通らないけれど大丈夫ですか」と。「今は行くところがないから人が通らないだけですよ。でも、こんなに外車が通る道は、住んでいる人の感度が高いから大丈夫ですよ」と答えたのを覚えています。バワリーオープン後は、ありがたいことにうちを目指してくる方が増え、人の流れが大きく変わりました。あのとき見た外車の人たちも今ではお客さんです。

この辺りが大きく変わり始めたのは、斜め前にあった三越エレガンスが解体された2006年あたりから。それまでは空は広くて、街がもっとのんびりとしていました。

バワリーオープン前の1997年のニューヨークノート。緻密にスケッチ入りで多くのことを書き込んでいる。「この時購入した照明やトイレのシンクは今も現役。この集中はもう二度とできないかも」(写真・山本宇一展より)

宇一さんのつぶやき】注意して歩くと、246を背にしてセブンイレブンのあたりまでは歩道が広いでしょう。でも、その先からは歩く人が少なくなっていくから、歩道も狭いんです。昔はね、駅からも遠いし、人気がなかったんですよ、このあたりは。

Q 5  いつまでも色褪せないバワリーの店づくりの秘訣とこだわったことは?

Aトレンドを気にせずシンプルに。自分たちが好きなようにつくりました。

バワリーの建物は、もともとは車屋さんでした。店舗は公私ともに親しかったインテリアデザイナーの形見一郎くん(故)とつくりました。あの頃、うちみたいな飲食店で白い壁のところは、ほとんどなかったんです。内装屋さんには飲食店は食欲を誘う茶色が、今の主流です、とか言われて。「いや、お腹がすいているときに壁の色が何色でも食べるでしょう」というのが僕の持論。むしろ、白い壁の方が料理やお客さんの洋服も映えますよね。

彼らは水色のテーブルは食欲をそそらないって言うから、水色のテーブルのお店も作りましたよ。でも、みんなご飯をおいしそうに食べていましたね(笑)。

食欲って色ではなく、椅子やテーブルなどのディテールだと思うんです。店内をパッと見て、椅子の脚が細いレストランでご飯食べたくないな、と僕は思うんです。

オープンのときから変わらない白い壁とモノトーンの椅子とテーブル。シンプルな中にも宇一さんのたくさんの思いとこだわりが詰まっています。

バワリーの内装と外装でこだわったのは、モノトーンでシンプルであること。空間もメニューも大好きなアメリカのダイナーと、古き良き日本の食堂が混ざり合っているイメージです。昔ながらのオムライスやハンバーグ定食もあり、ニューヨークのダイナーの定番、パンケーキやステーキもあるような。自分たちが毎日行きたくなる食堂を考え、理想や思いつくことをすべて形にしたのがバワリーキッチンなんです。

バワリーキッチンをはじめ、二人三脚で店を作り続けた盟友のインテリアデザイナー故・形見一郎さんと。「彼からはたくさんのことを教わりました」(写真・山本宇一展より/写真・ブルータス提供)

Q6 バワリーを始めるとき、ストリートやエリアの活性化を考えましたか?

A全く考えなかったですね。単に自分が気分よく通える場所を選びました。

たとえば、寂しい裏路地に入って階段をトントントン上がった二階にお店があるって、毎日が楽しくないじゃないですか。自分が毎日気持ちよく通える道と場所なら、くる人も同じ気持ちになってくれるだろうという基準しかなかった。

その思いが伝わったのか、自分の想像を超える人がきてくれるようになりましたね。

Q7バワリー詣でなる現象を生み、人と車が朝まで並んだそうですが、その頃のエピソードを教えてください。

A 30台もの車が停まり、スタッフは30分ごとに駐禁チェック、そっちの方が店の仕事よりも忙しかったかも。

バワリーはロードサイドの店ですから、お客さんは店の前や周辺に駐車するわけです。一度数えたときは30台もの車が停まっていました。駐車ルールも今ほど厳しくない時代。警察が道路にチョークで線を引き、そのあとレッカー移動、というのがお決まりのパターン。

スタッフは30分置きにお客さんの駐禁チェックに回り、危ない車を見つけると「ポルシェのお客さま、車を移動してください」とアテンションしていたんです。だから、うちの子たちはみんな車には詳しかったですね(笑)。閉店時間を朝の4時にしたのは、お客さんが3時まで途切れなかったから。こんな早朝までやっているお店はないから、食事や飲んだあとに、はしご感覚でくる人も多かったですね。

Q8 ところで、宇一さんは駒沢公園へは行きますか。

A 公園からきた人の話しを聞くと行った気になるからあんまり行かない(笑)。

公園が好きで公園の近くにバワリーキッチンをつくったのに、オープン後3年間は忙しくて一歩も行けなかった。最近は行きますよ。たまーにですが、友だちに呼ばれて会いに行ったり。でも、ラーメンショーは行きますよ。ばかばかしくて楽しいですからね。

バワリーの前身は車屋さん。右側のシャターのような窓がその名残り。店の前の赤いポストもトレードマークのひとつ。

 

Q 9 店の前の郵便ポスト、何かメリットはありますか?

Aもし、自由に郵便ポストが設置できるとしたら、絶対にあった方がいいです。

バワリーを始めた頃、一日中カチャカチャ金属音がして何の音だろうなと思ったら、郵便物を出すときの音だったんです。それだけ多くの人がくるんですね。

考えてみたら、郵便ポストってうまいところに設置しています。みんなの用事がある場所や、主要な場所へ行く通り道など。うちはたまたまですが、表参道のロータスも期間限定店だった銀座のスタンド Gも郵便ポストが目の前にありました。特に、スタンド Gは何でこんなに人が来るんだろう、と思ったほど人が入りましたが、それは郵便ポストのおかげだったのかもしれません。だから、物件を探すなら郵便ポストの近くを探せ、と知り合いには教えています(笑)。

【バワリーファン(40代男性・会社員)】一度、週末にランチに来たら長蛇の列で諦めました。今日はリベンジ。初めて中に入りましたが、友人の家のリビングで過ごすような心地よさでした。ご飯もおいしいし、宇一さんがこだわった白い壁も家っぽくて、落ち着きますね。

【宇一さんコメント】リラックスできたのは、スタッフの対応が堅苦しくないからだと思います。スタッフが店員っぽく対応すると店になるし、友達みたいに接すると友達の家みたいになるんです。バワリーは別に並ぶ店じゃないので、次回は電話で予約したらいいですよ。

VOL.2では、オープン当初からずっと変わらない、バワリーキッチンのメニューに込められた思いなどをお伝えします!お楽しみに! VOL.2はこちら

宇一さんのことをもっと知りたくなったら☞表参道「LOTUS」の山本宇一展へ。

2023年10月20日に還暦を迎えた山本宇一さん。還暦の誕生日会の代わりに、表参道のロータスで自身の60年の回顧展を発案。子どもの頃の写真や好きだったもの、バワリーキッチンの企画書や手書きのノート、ニューヨークでのスケッチなどが展示されています。自ら額装も手がけるなど、ほほえましい展覧会となっています。宇一さんの人柄を知ると、店への愛着もますます深くなっていきます。ぜひ、足を運んでみてください。2024年10月20日まで開催予定。lotus_omotesando

お話しを聞いた人・山本宇一さん

空間プロデューサー、カフェオーナー

カフェカルチャーの先駆者であり、駒沢になくてはならない人。プロデュースした店は約70軒。現在、は東京・駒沢に「BOWERY KITCHEN」(1997年)と「PRETTY THINGS」(2013年)、表参道に「LOTUS」(2000年)、尾山台に「SO TIRED」(2023年)。加えて今年、2022年に惜しまれつつ閉店した「montoak」の跡地で藤原ヒロシさんとニューショップをオープン予定。

BOWERY KITCHEN(バワリーキッチン)東京都世田谷区駒沢5-18-7 TEL.03-3704-9880

営業時間:11:00~23:00  (金・土11:00〜24:00)

http://www.heads-west.com/shop/bowery-kitchen.html

 

 

photographer :Wakana Baba
text:Keiko Takahashi

KOMAZAWA
COMOREVI
PROJECT_.
駒沢こもれびプロジェクト